ホテル沿革
   大連賓館は日本から1909年に建築が開始され、1914年に完工されたもので、大連市では一番早く建設された現代的な賓館で、元は「大和旅館」と言われたものです。それは大連市の中心場所の中山広場に所在していますが、大連市の政界、商界及び社会著名人の接待の重要場所として使用されているところです。
   今日の中山広場では、100年前にただ「青泥村」の一部分に属しましたが、1899年11月ロシア沙皇ニグラ二世は青泥で港を建てる発表してから、市を建て始めました。第一期の市長のサバローフは青泥の東に広場を建てると選んでから、広場を「ニグライエーフカヤ広場」と名付けたものです。日露戦争後、1906年から1936年まで 当時日本統治局はロシアの設計案によって、広場の囲りに引き続いて九棟すばらしく型違いのヨーロッパ式建物を建て、「大和旅館」もその一つの建物です。同時に、その広場を「 大広場」と名付けました。1914年から1945年まで、大和旅館が日本南満州鉄道株式会社から経営されました。
   1945年に旧ソビエトが大連に入り、同年8月に臨時に大連賓館を旧ソビエト司令部として使用しました。10月27日 旧ソビエト警備司令のゴーヂケースは、そこで大連各業界の代表会議を開催し、大連市政府を作ることを決定しました。11月に旧ソビエト警備司令部が引っ越して「全蘇国際旅行社」と名前を変更しました。大連市人民政府は、1950年12月7日に、「全蘇国際旅行社」を受け取り、1953年に「中国国際旅行社大連支社」と名を変更しました。1956年9月に「中国国際旅行社 大連支社」と賓館は二つの会社として分けられていますが、賓館ではずっと今まで「大連賓館」という名で使われています。
   近百年来、大和旅館でも、大連賓館でも、全て大連市のビジネス交流、政界接待の中では特別の魅力で時代の流れをガイドし、毎年多くの日本の観光者は、そこを懐かしいものとしています。そこでは周恩来、劉少奇、彭徳懐、ケ頴超、楊尚昆、及びホルショーフ、ブルカーニ、竹下登、中曽根康弘。村山富市、カリ、ヒークなど中国国内外の大統領と有名な人を接待したことがあります。1992年に大連賓館は国家観光局から正式的に「三ツ星賓館」と批准されました。